クォンタムアロマの江口みゆきです、こんにちは!
「クォンタムアロマ」のみゆき
江口みゆきのプロフィールを
ご紹介します。
1962年3月14日東京都品川区生まれで
小学1年生(6歳)から東京都の郊外
日野市に引っ越して現在も八王子市の
丘の上に住んでいます。
私のおこなっている
「クォンタムアロマ」といっても、
何のことだかわからないかもしれませんね。
わたしは、今、二つのことを中心に合わせて
やっています。
そしてその根底を支える私の中の土台と
なるものが最も重要なものです。
それは「本当の自分」に出会い、
その本質であるスピリットの目覚め
を促し、自分を引き上げていく為に
出会うべくして出会いをした
メンターとの再会です。
先ず中心となる一つめは、
自らのエネルギーレベルをひき上げて
ココロとカラダ、痛みを取り除いて、
癒しを提供する素粒子レベルの
「量子エネルギーヒーリング」
というのが一つ。
もう1つは、
無意識の中に存在し
自我に目覚める前に自分自身で制限を作って
意識の水面下でうごめいている
「無意識の思い込み」
そういうものってありますよね。
そういうものをあなたの中に発見して
そしてはずしていくヒーリングセッション
やワークをしていき本当の自分に出会い、
あなたのソウルが決めてきた
自己実現を発見してそれを可能にできる
ような姿に根底からあなたの在り方を
変えていくお手伝いをしています。
言ってみれば、過去に作ってきた
あなたの幻の自分の姿を水で洗い流し、
本当の姿の自分の未来を自分で創りあげる、
それはまるで自分が操縦席に座り、
操縦してけるようにするためです。
あなたはそうすることで自分に繋がり
自分自分を自由に創造して表現して
ワクワクしながら、愛と光に満ちた
堂々とここに存在していきます。
実はこれをやるきっかけとなったのは、
私の過去の体験が元になっているんです。
実はですね、私は夫からの暴力の体験があって、
それがトラウマになっていました。
他人からのジャッジがいつも気になり、
自分らしくずっと生きてこれなかったんです。
けれども、
その夫と離れて住むきっかけあって、
その時に自分の中に湧き上がって
来たことがあり、こう思ったのです!
『自分の本当に大好きだったものって何だろう?」
そして好きなことをやって自立して
仕事をしよう思いました。
その時に出会ったのが
自然が昔から大好きだった私は
アロマにであって、それを仕事をやってみたいと
思いこれをチャレンジしてみました。
実際に学ぶことはとても多くの学びで
大変でしたがカラダの作り、
解剖生理学や病理学、
その他のアロマセラピー理論などその
アロマをとり入れていくと、
「自分自身のココロがすごく癒される」
そんな体験があったんですね。
そして、そのご、アロマセラピストの仕事をしてから、
介護の仕事を始めることになりました。
この時にアロマについてはよかったのですが、
知らず知らずのうちに体がボロボロになって
しまったのです。
そのときに自分のココロと感情を
後回しにしてカラダにも鞭を打っていた
自分がいたことに気がついたんです。
そうして出会ったのが、
クォンタムタッチⓇのエネルギーヒーリングです。
自分のエネルギーレベルを高めていくと
スピリット、ココロや感情だけでなく、
カラダも元気になってくるんですね。
そして、これはいいな~って自分自身が
それを体験してそう思って、
この自分が大好きな自然の
アロマセラピーとエネルギーヒーリング
これを組み合わせてこれを
私のようないろいろな体験をしてきた
女性のココロと感情とカラダとスピリットを
先ずは整えながら、
本当の自分の姿に目覚めてほしいとおもい、
みゆき式クォンタムアロマということで
これをお届をしはじめました。
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みゆきのストーリー:
私には、3歳ずつ離れた、二人の兄がいて、3人兄弟の末っ子の長女として東京品川の荏原町に生まれました。大人になってから殆どそこには帰っていませんが、そこは東京都心で一番深い思い入れのある場所であり、私の祖父母やお正月には親戚が集まった大家族が住む荏原の町でした。
太平洋戦争で海軍飛行部隊にいた父、長岡市の空爆の中を走って逃げ生き延びた母、二人の青春時代はそんな激動の時代でその中を生き抜いてきた両親はとても貴重な日本人であり、二人から産まれた私はご想像の通りで、子供の頃は両親からも厳しいしつけをされました。
もともと傷ついた心を作られてしまった環境で育ったのは二人だけではないでしょう。もっとたくさんの方々のご両親や祖父母たちもいるはずです。当時の厳しいしつけと称して自分の痛みを他人にぶつけてきたのだといまだから理解します。
そして自分でたくさんのビリーフを作りあげてきました。今振り返ると、それでも、これまで子供の時代からおとなになっても、たくさんの愛情を両親や家族から受け取ってこれたことにとても感謝と愛で胸がいっぱいになります。それだから本当の姿の私が今、ここに存在できてるのです。
私の年代の子供の頃は多くの人たちがサザエさん一家が無意識に理想の家庭モデルとしなっていたのではないかと思います。昭和37年生3月生まれのうお座の私は、ある面、ロマンチストです。世界中の多くの少女たちが憧れるお姫様、ディズニー絵本の中の眠れる森の美女のローズが幼い頃の私にとって、手の届かない密に憧れていたお姫様でした。
成長するにつれ、少しずつ、それも忘れ、お姫様に対して憧れることはなくなった私です。おそらく、男兄弟の中で育ったわたしにとって、女の子らしい遊びがあまりしてこなかったから、よけいだったかもしれません。お転婆でジーンズが大好きで、左利きの私は右利きの人にとてもコンプレックスを持っていました。小学校一年生当時から、ピアノを習わせてもらい、それが唯一、自分の世界に入れる時間で、習い事としては、申し分のない、音楽を好きにさせてくれたきっかけとなったと思います。
この年齢に至る長い年月は写真のアルバムを開く度に、たくさんの記憶が思い出させてくれますが、それ以外では、あまりにもたくさん古い記憶が処理しきれないまま、新しい記憶にかけ消されてます。そんな自分の人生のいくつかの分岐点になったのではないかと思う過去のシーンを思い出してみたいと思います。
青春時代の私の一部分は「音楽」に夢中になっていました。中学3年生まで習っていたピアノのお陰でクラッシック音楽が大好きになり、私の音楽の基礎となっています。そして、小学校4~5年の頃、兄のレコードで聴いたビートルズのレット・イット・ビーに心を打たれ、次第に洋楽に目覚めていきました。
中学校の時には、フォークソング部にはいり、フォークやニューミュージック、ポップス、ロック、ジャズ、ヒュージョンと洋楽に目覚めていき今の音楽にもいたりました。70年代後半から80年代の初めの頃は私の青春真っただ中でした。
もう一つ、わたしには大切なものがあります。それは内側に向かう学びの旅の始まりであり、精神世界での学びの始まりで、中学入学当時入信した世界救世教とういう教団に母が一時入信していたこともあり、私の意志で私も入信しました。
小さい頃から、宇宙にとても憧れ、興味があったので、「宇宙創造の神」を信仰することに対して、とても素直にみんなと共に行動をしていました。
中学生から結婚する頃までに所属していましたが、教団の事情などのせいで、そういったもの対して一人で向き会うことを、私の中で終わりにしました。直接、自分と宇宙の存在と繋がったり、地球とつながることができると知るようになりました。
私にとっての長い青春時代は両親の辛い激動の時代とは違い、素晴らしい時間を過ごしていたと今だからはっきりとわかります。信仰ってどんなことをするのと思われる方もいるので、簡単にどんなことをしたのか、ご紹介しましょう。
私が入信していた世界救世教の岡田茂吉といういう東京の下町生まれの人が教祖で既に他界していましたが、彼は「真善美」をこの世に提唱してその重要性も訴えていました。また、他の全ての宗教を取り払い、全てを受け入れるとし、他の信仰者であっても、その場で学べるシステムを作っていました。キリスト教、仏教、イスラム、全ての宗教を受け入れるとして、実際にはキリスト教信者さんもいらっしゃいました。
この地球上に「お地上天国」を作る目的で自然農法を作りだして、世界に広めていきました。私も自然農法の学びを少ししたのを覚えています。肥料はすべて、落ち葉を使います。人糞や牛糞はしようしません。すべて植物からなるものです。
そしてすべての信者に「浄霊」ができるように、その原理、「霊主体従の法則」とよばれるスピリットの原理などを伝えていました。人間の想念や執着のエネルギーが引き起こすものなど、その当時から学んできました。言魂もそうです。
そんな宗教の学生活動を私は音楽に浸りながら、勉強もほとんどしないで、各学期のない休みには日本全国から集まってきた、学生仲間と学生練成会というお泊り会で一緒にエネルギーワーク(浄霊活動)や布教活動、ボランティア活動、町中のゴミ拾いや、スピリチュアリティな霊界の学びや祈りの時間をたくさん過ごしました。
また、「浄霊」の愛の光を届けるワーク活動も学生仲間としていました。これは今、私がしていることとほぼ同じことです。または、キリストがしていたことでもあります。学生仲間と一緒に海外の外交官のご令嬢のお宅に通ってお嬢さんに浄霊を送っていました。日本国内で交通事故にあわれて、寝たきり人立ってしまった美しい女性へ届けていました。また、体調の悪い信者さん、家族、友達にも、自分にも送る自己浄霊や一日二回は朝の祈りの後に15分ほど浄霊交換をするのが日課でした。
他にもたくさんの話がありますが、長くなるのでこの辺でまたの機会にお話ししたいとおもいます。アメリカ合衆国が世界を救うはなしとか、今、まさにそれを言われている時代なので、思い出すと、すごいと思います。それは100年くらい前に啓示でおりてきたはなしです。今は多くの人がチャネリングなどでメッセージを受け取っているのでそれほど驚きませんが。まさに岡田茂吉さんもチャネリングができたということです。
そしてまた、救世教の岡田茂吉が研究し続けていた、自然農法の学びもしていました。本当に学生の頃から、わたしは、いろんな学びをしていたのだと今改めて、思いだすとこれをみんなに生かす時が来たのだと感じます。自然農法の研究は、世界中に既にその自然農法がつたわっているはずです。自然農法の原義は確かにすごいと思ったことをおもいだしました。
あー本当に面白体験もたくさんしてきたなと、今改めてすごい体験をしているのは、絶対にこれを活かせということだと思います。みんなにおもいだして伝えられることはしていきたいなと思いました。真面目でも、不真面目でもなかった学生時代、私の青春時代はつまらないとかんじたときもありますが、実はすごい宝が詰まっていたことに気づかされました。ありがとうございます。
さて、今回の書き直しのプロフィール作りで私は自分の友達に、私について、「私のエッセンス」がどんなものかを尋ねていたので、下にそれをあげてみました。そうすることで、私のことをイメージしていただけやすいとおもったので、下にご紹介します。私からこの内容のエッセンスを書くようにお願いしたものではないことをどうぞご承知ください。
1.共感力が深い
2.思いやりいっぱい
3.優しさ
4.愛がいっぱい
5.笑顔
6.表現力、イマジネーションの世界
7.アーティスト(美意識が高い、表現力が豊か、歌が上手い)
8.自然と一体感、お花畑似合う、植物の叡知
9.立ち上がる力がある
10.繊細
小学校入学直前に自然が残る「ぽんぽこのふるさと」、東京の多摩丘陵の地に越してきました。今の場所からは少し離れていますが、都会で生まれてから初めて越してきた自然の中で最初の数か月は小学生にして、とても暗いものだった気がします。遊び場であるはずの公園が見当たらないことに私は落胆していました。
180度生活環境が変わりこの世の終わりに感じたような不安な毎日でしたが、次第に慣れていき、いつの間にか自然児になっていた私です。子供って本当に順応するのがはやいのですよね。また、自然は全てのものに手を広げて迎えてくれる大きな愛があるので、田舎から都会に引っ越すよりかは楽だったと思います。
そのころから自然は私の一部になっていきました。今は大自然の要素が私には無くてならないものです。私が自然の中に身を置くのが大好きなのは、記憶に焼き付いている美しい自然の描写の一つひとつ。山々のハイキングコースが友達との遊び場であったり、両親に連れ行ってもらった山、川、湖でのキャンプなど忘れられません。
こちらに越してきた当初はまだ近くの川で泳げていました。夏になると、水着をきて川に入って、近所の川のほとりにある柿をとったり、近所の畑でスイカをもらったり、ほんとうに楽しい自然があふれていました。川の中は切れな水の中を泳いで魚の姿などを思い出します。あっという間に、その川も汚染されてしましましたが、私の記憶にまだ美しい川の情景が残っています。
現在もこの地にはその頃の美しい情景を思い出させてくれる、里山を残している自然公園が目の前にあり、私の暮らしは、その自然公園と共に存在します。私は一日はここで始まります。小鳥や水鳥、虫や樹々、保護区域には小動物が暮らしていています。ここは地球を感じれるとても良い環境で、地球の自然のエレメントの高い周波数のエネルギーの地を踏みしめ、グラウンディングできる最高の場所です。
この地で毎日、最高のエネルギーを受け取り一日が始まります。そして内側に繋がり、きれいな酸素を口や鼻から吸い込み、不要なエネルギ―を吐き出し解放していきます。私の腰から光の根が地面を這い、ドレスの裾が広がり、足の下から地球の中心に向かって真っすぐ降りていきます。
私はその光を全身で受け取り、これを私の愛する人々に向かって届けていきます。私の周り、私の地域、私の日本、私の家族や仲間が住む地球の全体を包んで光で地球を包み込みます。これは私の「クォンタムアロマ」は最先端科学のエネルギーワークを取り入れたヒーリング方法の一部でもあります。対面や現在、過去、未来への遠隔ヒーリングやオンラインzoomでお話を伺う独自の遠隔ヒーリングセッションなども心地よくできます。
自然のエレメントと共に暮す私は自然植物の叡知をもらってハーブをそだてたり、エッセンシャルオイルのアロマを取り入れた暮らしを自らしています。これらの叡知はアロマセラピストとして英国の王室ご用達のIFAインタナショナルセラピスト協会から学んだもので、それは多くの叡知をもらいました。
うんちくだけではなく、植物の叡知の中に存在するエレメントとカラダの叡知に繋がると、あらゆる面に気づきが起こります、ライフスタイル、マインド、スピリット、ハート、身体など。焦らずに、自分の中で癒しが起こっていくのを感じながら、心地よく前進していけるようにしています。「転んだって、つまずいたっていいじゃない!」自分に共感しながら、一緒に立ち上がる力を身につけるのです。
カラダはとても叡知のカラダです。他の動物とは異なり、器用な手先を持っていて、その機能はとても特別なものです。自分や他人に触れることもでき、エネルギーを手から注ぎ込み、癒すことも可能です。
自分或いは他人に触れることができるのは私たち人間に与えられたギフトです。もともと触れなくても癒しを起こせる能力を持つ、エネルギーの存在でもあり、その能力は無限大の可能性を持つ能力です。
今の私の目標は、その能力に気づき、それをつかって本当の自由な姿で自分を表現して創造していくことを容易にし、さなぎから蝶々になる変容を成し遂げるキラキラした女性たちをどんどん増やすことです。わたしは、「今のここに」至るまで、自分が体験したすべてのいろいろな出来事が今の最高の自分になる為に起こされたものだと信じています。
そして、両親の親たちも厳しい激動の時代の流れの中で生まれ育った人達ですが、女性である母は繊細でスピリチュアルな能力を持ちアートが好き絵を描くことが好きで、洋裁や歌や社交ダンスも得意な素敵な母です。母のお母さんであるわたしの祖母はミッドワイフ、お産婆さんであり、看護士でもあり、とても深い思いやりと責任感の強い、忍耐強い女性でした。母はその影響で看護士を目指した時もあったようです。
私の「思いやり」は、彼女たちから受け継いだものだと信じています。私の母やおばあちゃん、そのまたひいおばあちゃんたち、更にそのまた上のおばあちゃんたちにさかのぼると永遠に昔の女性たちは多くの制限がある男性性の時代に生きてきた強い女性でしたが、多くのビリーフを彼女たちも持っていてそれも受け継いできました。
自分たちが動ける制限のある場所で、強い忍耐力を持ち、思いやりや愛情を示し、自分らしさをその中で表現してきた母たちです。言葉の少ない昔の女性の姿、生きるために潜在意識の中に真実を隠して、「真実の姿≠罪悪感」の存在を信じられないまま、この世を去った過去の女性たち。能力を隠して生きることが女性の美徳とし、「能ある鷹は爪を隠す」という言葉を受け継いたお祖母ちゃんから母へ、母から私へとその言葉は伝えられました。
今、私は自分の「制限」を受け継いできたことに気が付き、終止符を打ち終わらせて、それを手放していくことで、真の自由をつかみ、「真実の姿≠罪悪感」の存在で楽しく生きていくことを、私は他の女性たちと手を取り合ってつまずいても、転んでも一緒に立ち上がって先に進むことを目指します。
それが私の母やおばあちゃんたちの真の願いであり、宇宙との約束であり、そばで見守って応援してくれている祖父母や多くの女性たちの存在が愛を送ってくれています。それに気が付くこともとてもたいせつであり、自分のこととしてでなく、これから生まれてくる子供たちの未来に大きな影響を与えることだと思っているからです。
言魂でもある、アファメーションの自己肯定の言葉はとても強いエネルギーを持ちます。「能ある鷹は爪を隠す≠女性」ではなく「無限大の能力を持つ女性は真実の姿で生きる」これです。この事実に気が付かせてくれた、母や祖母に心から感謝や愛を送ります。
そして女性性である地球の女神ガイアとその自然界の植物から採れる愛するアロマオイルをこれからも使っていきたいです。わたしは、ここに至るまで深い傷もおってきましたが、これらのものをつかって転んでも立ち上がってきました。
そして子供たちから高い周波数のエネルギーを分けてもらってここに至りました。子供に命を吹きかけるのは母のやくめでもありますが、子供にとって自由を与えることが自分に返ってくる強力なエネルギーに変わるものだとわかりました。是非、こともをざずかった人は、子供が自分の鏡になることを理解してほしいともいます。
子供の姿はすべて自分の姿です。子供が生き生きとしている時は、自分も生き生きしているということ、だからそれを止めてはなりません。こどもが何かを訴えている時は、自分の真の姿が自分に訴えているということです。
今、自分の中に起こっている素晴らしい変容はクォンタムタッチⓇに出会った頃から、急速に早まり、スピリチュアリティな自分を認めで尊重し、自分の内側にも向き合う時間をなるべく作ることで平安が訪れることに気が付きました。
これまで自分が赤ちゃんの時から体験して自分で作ってきた制限のビリーフの辛い痛みをココロの底に隠してきたのだと、これまでの人生を振り返ると気づきます。これは自分にとても癒しがおこり、自然の中で心地よい時間をつくることで気づきが起こります。
自分や他人へのジャッジメントや、恐れ、恐怖、不安、自身のなさからくる痛み、カラダの症状、人間関係、金銭的ななどすべての問題は、自分の中のビリーフに気づくことから始まり、癒しながら、解放することで少しずつ自然に消滅していきます。必ずそうだと信じています。いつまでかかるかではなく、癒すことの心地よさを、感じる時間を味わい、楽しむこと。
ここに至るまでは長く感じましたが、私のメンターであるソウルヒーリングスタジオの小山シーナさんに出会ったこで、私の人生は大きく転換しだしてスピードを上げて根底から変わりました。今までの言葉全てつながるようになり、全てが見え始めたのです。それは自分に向き合うことで、答えがもたらせるからです。すべての答えは自分の中に在るというのは本当だと思います。
また、クォンタムタッチⓇ学び施術者として資格得て、アロマセラピストとしてもそれを活かし、香を取り入れたワークはこの上ない心地よさをもたらす、極上の至福をえれます。自分の中で起こる癒しは最高なものです。自分の為にそれをするのが大好きです。だから他人にもそれを感じてもらいたいと思います。
以下は簡単な私のクォンタムアロマの私の略歴ですが、生い立ちの中のストーリが多少含まれていすが、これも私の一部分ですので是非、読んでいただけたら嬉しいです。
◇主な資格
・クォンタムタッチⓇプラクティショナー資格
・国際アロマセラピスト連盟IFA公認アロマセラピスト
・米国宝石学会公認GIA米国学会宝石鑑定士・アドバイザー(GIA G.G)
・初任者研修取得
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◇主な経歴
・米国宝飾学会GIA 宝石鑑定士取得 鉱物学を学ぶことで地球の内側を探求
石の仕事に携わる
・2014年~ホリスティックアロマセラピー(Miyuki Holistic Care)開業
・2015年VIVAT ホリスティック トレーニング終了
日本ホリスティックケア研究所卒業
・2016年IFA国際アロマセラピスト認定資格取得 解剖生理学理論、
アロマセラピープラクティショナー
・2016年初任者研修を取得―高齢者の訪問身体介護&生活援助活動
・2018年Quantum-TouchⓇ プラクティショナー取得
・2018年~クォンタムアロマ主宰者として活動開始
クォンタムアロマのエネルギーワークのヒーリングをしているのは、必然的な私が引き寄せた、自分の人生体験が今の私を支えるものとなっています。ここに至るまで、ずいぶん遠回りもして、いろいろな景色を見てきて、楽しいことや辛い出来事も多々ありましたが、私は自分のこれまでの体験なくしてクォンタムアロマのみゆきはあり得ないと確信しています。
〇小学一年生から9年間ピアノを習い始め、音楽のある暮らしが普通となる。。
〇母からの影響でアートの世界が好きで、アートのある暮らしが好きです。
〇中学生から約8年間、宗教に入ってエネルギーの存在を学んだことが私の強み。
〇英会話専門学校を出て、貿易商社で約5年間勤務し視野が海外に広がった。
〇結婚後、カリブ海の島へ駐在員の妻として渡航暮らし。その間に子供を授かる。
〇夫からの暴力で自分がDV体験のトラウマに悩まされる立場になり、新たな私のチャレンジが始まり今に至る。
〇クォンタムタッチⓇ、アロマエッセンシャルオイルを使い、これまで自分が体験し、
選んできたワークを使い、真実の自分に出会う。
〇メンターと出会い、つながりの中で自分自身を癒していく方法に出会い、本当の姿で自分を表現していく楽しさと心地よさ、平和を発見する。
〇クォンタムアロマのみゆきは、ここに至るまでの自分の体験をとおして、DVトラウマ回復を目指すその当事者の女性や並びにその子供たちのインナーチャイルドやインナーペアレントを育てて、癒していけるようにサポートがもっと自由にできるようになったらいいなと願っています。